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札幌地方裁判所 昭和42年(ワ)1659号 判決

原告 斉藤義一

〈ほか一名〉

右両名訴訟代理人弁護士 林信一

被告 有限会社瓢鮓

右代表者代表取締役 中島定吉

右訴訟代理人弁護士 田村武夫

主文

一、被告は、原告らに対し、各金六八九、四七二円およびこれに対する昭和四三年一月一七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告らのその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

四、この判決の第一項は仮りに執行することができる。

事実

第一、当事者の申立

一、原告らの申立

「被告は、原告らに対し各金一、九六七、三四一円およびこれに対する昭和四三年一月一七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決および仮執行の宣言。

二、被告の申立

「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は、原告らの負担とする。」との判決

第二、原告らの請求原因

一、事故の発生

(一)  発生日時  昭和四二年九月二一日午後四時一五分頃

(二)  発生場所  札幌市北二三条西五丁目先道路(以下「本件道路」という。)上

(三)  事故車   普通乗用自動車登録番号札五も六五六二(以下「本件自動車」という。)

(四)  運転者   南幸雄

(五)  被害者   斉藤留美子(以下「留美子」という。)

(六)  事故の態様 南幸雄は、南北に通ずる本件道路上を、本件自動車を運転して北から南へ時速約五〇キロメートルで進行中、同道路を東側から西側へ姉の斉藤智美(当時八才)につづいて横断していた被害者に衝突し転倒させ、このため被害者は頭皮裂創等の傷害を負い、同日午後七時四五分頃外傷性ショックに基づく急性心不全により死亡した。(以下、右事故を「本件事故」という。)

二、被告の責任

被告は、鮨および和洋料理店業を目的とする有限会社であるが、本件自動車を下地光三から借り受け、本件事故当時、南幸雄に運転させ、被告の出前業務に従事させていたものであるから、本件自動車の運行供用者として、その運行によって生じた留美子及び原告らの後記損害を賠償する義務がある。

≪以下事実省略≫

理由

一、本件事故の発生および被告会社の地位

請求原因一(本件事故の発生)および同二(被告会社の運行供用者たる地位)の各事実は、いずれも当事者間に争がない。

二、自賠法三条但書に基づく免責の成否

そこで、まず、被告の無過失等に基づく免責の抗弁について検討する。

被告は、本件事故は留美子が本件自動車の至近距離において無謀にも飛出したため発生したもので、被告および運転者南には全く過失がなかった旨主張し、≪証拠省略≫には、被告の右主張にそう趣旨の記載があるが、右は≪証拠省略≫に対比して信用できず、ほかに被告の前記主張事実を認めるに足りる証拠はない。却って、≪証拠省略≫を総合すれば、南は本件事故当時本件自動車を運転して南北に通ずる本件道路を、南に向け法定の制限速度である四〇キロメートルを約一〇キロメートルこえた時速約五〇キロメートルで進行中、約三〇メートル前方の道路の東側の歩道の端に道路を横断しようとして車道に下りて立止っている留美子とその姉智美(当時八才)を認めたが、このような場合自動車運転者としては横断しようとしている幼児、児童を注視しその動静に即応し避譲又は停止の措置がとれるような速度と方法で運転しなければならないのに、帰りを急いでいたので、そのままの速度で進行を続け前記智美が約二一メートル先の道路上を西に向い小走りに横断を始めたのを認めて、若干減速して辛うじて同女との衝突を回避したものの留美子の動静を注視しないまま再び時速約五〇キロメートルに加速進行したため、約一一メートル手前に至ってはじめて智美に続き同一方向に横断していた留美子を発見し、危険を感じてハンドルを右に切り急制動の措置をこうじたが間に合わず、自車を同女に衝突させて路上に転倒させ、そのため同女は頭皮裂創等の傷害を負い、同日午後七時四五分ころ外傷性ショックに基づく急性心不全により死亡するに至ったことを認めることができる。右事実によれば、本件事故は運転者南が留美子の動静に即応しうる適度の速度をこえて運転し、かつ前方注視が不充分であった過失に起因することは明らかである。したがって、被告の自賠法三条但書に基づく免責の抗弁は、その他の点について判断するまでもなく失当といわざるをえない。

三、損害

そこで本件事故により蒙った留美子および原告らの損害について検討する。

(一)  留美子の損害

(1)  稼働能力喪失による損害

およそ人間は現実に就職していると否とにかかわらず労働不能と認められる不具者でない限り稼働能力を有するし、また有するに至るものであるが、その稼働能力は、一般の商品のような交換的価値を有するものではないとはいえ、通常は労働契約における賃金などの形において経済的に評価しうる財産的価値を有するものであるから、生命侵害によってその稼働能力を喪失した者は、現実に就職していて財貨を獲得していたと否とを問わず右能力喪失自体を損害としてこれを金銭に評価した金額につき損害賠償請求を取得するものと云うべきである。そして、幼児も通常将来稼働すべき能力を潜在的に有するものと考えられるから、生命侵害によってこのような能力を奪われることにより同様の損害を被るものと云うべきである。

ところで稼働能力の経済的価値は被害者が就職をしている場合および就職することが高度の蓋然性をもって予測しうる場合は、現実に取得し又は取得が予測しうる賃金を基準として算定するのが相当であり、また、被害者が家事労働に従事する主婦のように差当って就職を予定していないようなものにあってもその者が就職した場合に取得を予想しうる控え目な賃金を基準として算定するのが相当であるから、結局稼働可能期間中の賃金総額から生活費を控除した純収益がこれにあたるとみることができる。以下、このような見地の下に留美子の損害額を算定する。

(イ) ≪証拠省略≫を総合すれば、留美子は本件事故当時標準以上の発育状態の六才二ヵ月(昭和三六年七月九日生)の女子で、記憶力もよく健康であったこと、原告義一は月給約三五、〇〇〇円の会社員であるがほかにアパート経営により一ヵ月約一二万円の収入があったので、原告ら両親は同女を少くとも将来女子短大を卒業させるつもりでいたことを認めることができ、右認定に反する証拠はない。また、第一一回生命表によれば昭和三五年度における満六才の女子の平均余命が六六・八七年であり、厚生省大臣官房統計調査部編「人口動態統計」によれば、昭和四一年度の女子の平均初婚年令が二四・五才であることは、裁判上顕著な事実である。したがって、これら事実に現今大部分の未婚女性が学業終了後就職している実態を総合勘案すると、留美子は本件事故に遭遇しなければ満七二才まで生存し、短期大学を卒業して(同女がその学業を習得しうる能力を有するに至るであろうことは前記認定の事実から推測しうるところである。)就職し、二五才に達する頃には結婚したであろうことが推認される。

ところで、有職の未婚女性が結婚後も引続きある期間その職にとどまることは稀ではないが、一方、結婚を機会に退職する者も数多くいることも我々の見聞するところである。現に労働省労働統計調査部編昭和四一年賃金センサス(以下、労働省統計と略称する)第一巻第二表によれば、旧制中学ないし新制高校卒業以上の学歴を有する二五才以上二九才以下の女子労働者数が二〇才以上二四才以下のそれに比して極めて少い(前者は後者の二八・五パーセント)ことは裁判上顕著な事実であるし、この事実に、前記認定の女子の平均初婚年令が二四・五才であることなどを考え併せると、旧制中学・新制高校卒業以上の学歴を有する(又はそれが予想される)未婚の女子の稼働能力をできるだけ確実にかつ控え目に評価するためには、これら女子は結婚に際して退職し、主婦として家事労働に従事するものとして取扱うのが相当であると認められる。

そこで、ひとまず留美子が就職したものとして評価すべき二〇才から二四才の終了時までの損害を算定することとする。前掲労働省統計第一巻第二表によれば、昭和四一年度の旧中学・新制高校卒業以上の学歴を有する二〇才から二四才までの全国全産業の女子労働者の平均月間給与額が二〇、六〇〇円であり、特別に支払われた平均年間給与額が六四、六〇〇円であることは裁判上顕著な事実であるところ、留美子は前記のとおり心身ともに正常な発育状態にあったのであるから、同期間の給与額は、少くとも右平均給与額を下ることはないと推認される。他方、同女の生活費は原告らが自認する全収益の五〇パーセントが相当と認められる。したがって、同女は前記期間中毎年前記平均月間給与の年間額と年間特別給与額との合算額(これを同女の年間賃金と云いうる)の半額にあたる純利益をあげることができたはずであるから、右収益からホフマン式計算に基づき年毎に年五分の割合による中間利息を控除してその現価を計算すると、四二一、九七四・五円となる。(年収311,800×0.5×ホフマン係数2.7067=421,974.5)

(ロ) そこで、次に留美子が結婚後もっぱら家事労働に従事すると推認される二五才以降の損害額について検討すると、家事労働に従事する主婦の稼働能力は必要に応じていつでも自家の家事以外の労働に従事し、賃金等の収入を得る能力をいうものと考えるのが相当であるが、高度の蓋然性をもって就職が予測される場合の稼働能力とは異り、その性質上勤続年数に基づく昇給および毎月の定期給与以外の特別給与は、考慮外においてこれを評価すべきものと考える。

ところで、前掲労働省統計第一巻第二表によれば、昭和四一年度における旧中学・新制高校卒業以上の学歴を有する二五才以上の女子労働者の平均月間給与額が二五才以上二九才以下は一九、二〇〇円、三〇才以上三四才以下は一八、二〇〇円、三五才以上三九才以下は一七、五〇〇円、四〇才以上四九才以下は一八、〇〇〇円、五〇才以上五九才以下は一七、六〇〇円(いずれも勤続年数を零とした場合)であることは、裁判上顕著な事実であり、一方、留美子が前認定のような発育状態にあることからすれば、同女は少くとも二五才から六〇才までの稼働可能期間中前記の平均給与額のうち最低の一七、七〇〇円を下らない給与を取得しうる稼働能力を有し得たものと推認できるところ、他方その生活費は原告らが自認する給与の五〇パーセントが相当と認められる。(なお、主婦につき稼働能力の評価の基準として最低の平均給付を選んだのであるから、このような稼働能力は六〇才まで存続するものと認めるのが相当である。)したがって、留美子は右期間中毎月八、七五〇円の純収益をあげえたはずであるから、右収益からホフマン式計算に基づき年毎に年五分の割合による中間利息を控除して計算するとその現価は一、三三二、四〇八円となる(年収210,000×0.5×ホフマン係数12.6896=1,332,408.0)

(ハ) 被告は、原告らが留美子の死亡により同女の稼働開始までの養育費の支出を免れたことを理由に原告らの損害額から右養育費を控除すべきであると主張している。しかし、留美子の前記損害は、同女について発生したものであるのに対し、右養育費に関する利得は、原告らについて生じたものであるから、後に留美子の前記損害賠償請求権が原告らに相続されるとしても、右利得を留美子の前記損害額から控除すべき根拠はない。

よって、留美子の稼働能力喪失による損害の合計は、円未満を切捨てれば一、七五四、三八二円である。

(2)  慰藉料

留美子が事故当時健康で発育も普通以上であり、記憶力のよい六才二ヵ月の女児であったことは前記三(一)(1)(イ)で認定したとおりであり、順調に成長すれば少くとも短大を卒業し、その後就職し、結婚し余命を全うし得たであろうことも既に述べたとおりである。しかるに同女は本件事故により悲惨な死をとげ、女性としてたどるべき道をたどることもできずに短い一生を終ったものであるから、このような同女の精神的苦痛に対する慰藉料は、後に認定する被害者側の過失を斟酌すれば金一四〇万円をもって相当と認める。

(3)  相続

原告らが相続によりそれぞれ留美子の権利の二分の一を承継したことは、当事者間に争がない。

(二)  原告らの慰藉料

≪証拠省略≫によれば、留美子が原告両名の次女であり、原告らの間には、当時ほかに九才八ヵ月の長男、八才一一ヵ月の長女がいたこと、原告豊子は留美子を亡したことにより当分食事ものどを通らない程のショックを受け、このことを口にすると家族が皆悲しむのでなるべく話題にしないように努めていたこと、しかし、同原告は留美子を失った心痛を何年たっても忘れられないことを認めることができるが、原告らが親として子を失ったことにより深い悲歎の情に沈んでいることは右の原告豊子本人尋問の結果によるまでもなく、容易に想像しうるところであり、右に認定したような心情は原告義一にあっても全く同様であると推認できる。このような原告らの精神的苦痛に対する慰藉料は、後に認定する被害者側の過失を斟酌すれば各自八〇万円をもって相当と認める。

四、過失相殺

そこで進んで被告の過失相殺の抗弁について判断する。

(一)  留美子本人の過失

前記二の認定事実、≪証拠省略≫によれば、留美子が交通頻繁な本件道路の横断歩道もない箇所において南の運転する本件自動車が高速度で接近して来ていたにもかかわらず、横断を始めた姉智美に続いて交通の安全の確認を行うことなく横断したことが前記認定の南の過失とともに本件事故の一因をなしていることが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

ところで、被害者の過失を過失相殺として斟酌するには、その者が行為の責任を弁識する知能をそなえていることまでは必要ないが、交通の危険を弁識しこれに対処しうる能力を有することが必要であると解するところ、留美子は記憶力がよいとはいえ、原告豊子本人尋問の結果によって認められるように、本件事故当時保育園に通園していたに過ぎない六才二ヵ月の女児であったから道路の横断にさいし右のような交通の危険を弁識しこれに対処しうるよう安全を確認して行動すべき判断力をそなえていたものと認めることはできない。尤も原告豊子の本人尋問の結果の中には留美子が危険物を認識する判断力を有した旨の供述があるが、右供述は同女が就学前の幼女であることおよび前認定の同女の本件事故現場における行動等に鑑み、採用できない。したがって、この点に関する被告の主張は失当である。

(二)  原告らの監督義務者としての過失

≪証拠省略≫によれば、留美子は事故当日午後二時頃から三時頃まで自宅附近で保護者の監視もなく遊んだ後、姉について姉の友人宅へ行こうとしたが訪ね当てることができずに帰宅する途中、本件道路を横断して本件事故に遭遇したこと同原告は夕食の仕度に忙しかったので、右のように自宅附近で遊んでいた留美子が姉に連れられて本件道路方面へ出かけたことは知らなかったこと、同原告は常日頃子供達に自動車は危険であること、本件道路を横切ってはならないことを注意していたことが認められる。

ところで、≪証拠省略≫によれば、本件道路は車道と電車軌道の併用道路で交通量も多く、原告らは本件道路から約半町へだたったところに居住していることが認められるから、このように交通頻繁な道路の附近に居住する者はその親権者の監護義務の行使として、適当な監護者を附することなく道路に幼児を遊びに出した場合は、時々その動静を看視し、その所在をたしかめ、交通状況に応じ屋内に呼び入れるなど監護下にある幼児を交通の危険から守るよう格段の配慮をめぐらすべきであるのに、本件においては母親である原告豊子は日常交通の危険について一般的注意を与えていたというにとどまり、それ以上の措置をとったものと認むべき証拠はないから、原告らが親権者としての監護義務を十分果したものと認めることはできない。そして、このような原告らの監護義務懈怠を被害者側の過失として損害額算定にあたって斟酌することは損害分担の公平を期する過失相殺の理念に照らしても相当であるというべきである。思うに、本件のような子供のひとり歩きの際の事故の損害算定にあたって、就学後の児童については児童本人の過失を考慮しうる場合が多いであろうし、二、三才の幼児については親の過失を取上げることに余り異論がないと思われるのに、留美子のようなその中間の年令層の幼児については幼児本人、親のいずれの過失をも斟酌することができないというのは加害者との関係においていかにも不公平の感を免れないからである。

そこで、原告らの右過失の程度を勘案すれば、留美子の財産的損害(前記三(一)(1)の損害)についてその一〇パーセントを過失相殺するのが相当であるから、右損害額は一、五七八、九四四円となり、結局原告らが留美子から相続する財産的損害賠償請求権の額はそれぞれ七八九、四七二円である。

五、損益相殺および弁済

原告らが自動車損害賠償責任保険金として各一六〇万円宛の給付を受けたほか、被告から本件事故による損害の一部弁済として合計二〇万円(各自一〇万円)の支払をうけたことは、いずれも当事者間に争がない。

六、結論

以上の次第であるから、原告らの本訴請求中、それぞれ原告らが留美子から相続した損害賠償請求権の二分の一である一、四八九、四七二円と、自己の慰藉料八〇万円との合計二、二八九、四七二円から前記保険金一五〇万円と弁済金一〇万円との合計一六〇万円を控除した残額六八九、四七二円および右金員に対する本件不法行為による損害発生の日の後である昭和四三年一月一七日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は正当として認容し、その余は失当としていずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松野嘉貞 裁判官 小林充 加藤和夫)

〈以下省略〉

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